本当は、今回くらいから作った物をUPしていこうかと思っていたのだが、
前回のエントリで「オナペッツ」にちょっと触れたので、
今更「オナペッツ」で検索する人もいないと思うが
彼らについて差し障りの無い範囲で当時の事を書いてみようと思う。
これまたもしいればの話ですが、私の作った物を期待して見にきてくれてる方には
申し訳ありません(m__m)

一応、知らない人の為に「オナペッツ」画像
左が「宝ダイヤ」さん、右が「宝ルビー」さん。
で、私は宝ダイヤさんと同級生だった。
当時、私達とは違う美大に行っていた宝ルビーさんも少し話した事はある。
2人は美大に入学する前からの地元の友人同士だったらしい。
こういう格好してるから、分からないかも知れないけど
2人とも「超」がつく美形で、身長も180cmはあった。
当然というか、入学時からダイヤさんは目立つ存在だった。
私が現役で、彼は1浪してたから歳は1つ上だった。
彼はとても優秀で非常に頭も良く、性格も人当たりが良いいい人だった。
学校で提出した課題は、どれも評価が高かったと思う。
確か2年の頃、うちの美大とルビーさんの美大のメンバーでつくったバンドがあって
そのバンドのライブに2人がダンサーとして出てたのが、「オナペッツ」の活動の黎明期だったと思う。
(この頃は「La Onapets」というユニット名で、フランス語の冠詞の‘La’が入ってた。)
当時このバンドは人気あって、この2人見たさに人が集まった。
ちょうど同じ頃、私達はクリスマスだとかのイベント時に
「仮装パーティー」をやるようになっていた。
「仮装」といっても美大生のやる事なので、ハンズなんかで衣装を調達するなんて事はなく
みんな思い思いの格好を創作して参加する、っていうのが習わしだった。
で、いつも2人はドラッグクィーンを意識した仮装をしてて
「オナペッツ」の衣装の原型はこの頃確立した。
彼らは、私達の間ではスター的な存在だった。
実際、彼はそれだけの才能と資質とルックスを兼ね備えた人だった。
この年齢の頃ににありがちな感情だけど、彼らの友達でいる事は自慢だった。
こういう活動に精を出していたせいか、ダイヤさんは私達の卒業から
2年後に美大を卒業した。
その当時はちゃんとした会社に就職したが、働きながら「オナペッツ」活動を続けていて、
ローリー寺西なんかと一緒に深夜のTV番組に出たりしてた。
そのうち、見た目の奇抜さのせいで話題になって「いいとも!」なんかのメジャー番組にも
準レギュラーくらいの頻度で出演する様になっていった。
でも当時、TVでの扱いや世間の彼らを見る目は「キワモノ」みたいな捉え方だったと思う。
外見のインパクトが大きいせいかそっちに目がいってしまい、
元々の彼の頭の良さや才能がTVじゃあまり表現されてなかった。
彼らがTVで活躍したのが‘90年半ばくらいだから、世に出るのが15年早かったのか・・・
恐らくGAGAはゲイピープルあたりから人気が出てるだろうし、
今の世なら「オナペッツ」の扱いも変わってたんじゃないだろうか。
う~んでもやっぱり今でも、日本じゃこういうゲイカルチャー的なものが
メジャーで受け入れられるのは難しいかも・・・
でも私は、彼がオナペッツのカツラや衣装を夜な夜な自分で作ってた事や
タップダンスを習いながらダンスの技術に磨きをかけていたのを知っている。
彼らはただの「キワモノ」では無く、非凡な才能を持ち合わせた人達だったのだ。
※追記
遊び仲間ではありましたが、私からすれば彼は当時も既に「雲の上の人」って存在でした。
20歳かそこらの年齢で、もう人生を達観してる様な雰囲気の方でした。
でも今思い出しても、彼らと知り合ってできた思い出は楽しい事ばかりでした。
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